テーマ同朋大会 四日市別院 2000年5月30日
池田勇諦師 
テーマ趣旨の発表・記念講演・意見発表がありました。
テーマ趣旨
 蓮如上人は、十五世紀、戦乱と飢餓がうちつづく混迷の時代に、宗祖の開顕された本願念仏のお法に依って、「いし・かわら・つぷて」のごとく打ち捨てられ貶められていた人々に、人間成就の道あることを声高らかに教えて下さいました。そのご教化は時代を越えて、煩悩具足の身を生きるほかなき人々の燈火となり、今もなお我々に生きる勇気を与え続けて下さっています。

 テーマ(主題)となる言葉「念仏もうさるべし」は、ご存知のように、蓮如上人七十九歳の正月元日、勧修寺村の道徳の年頭の挨拶にこたえて、「道徳はいくつになるぞ、道徳、念仏もうさるべし」とおおせられたことに拠っております。それは、生死無常の世にあって、よそごとでない、まず自己の足下の根本問題−人として生きる本来のよろこび−に目覚めよ、との蓮如上人の教命であります。

 今日の時代は、人類が未だかつて経験したことのない大きな転換期といわれております。既成の思想や価値観は大きくゆらぎ、人間の生んだ科学技術はついにその人間の「いのち」をも対象にし、操作するようになりました。近代になって急激に加速した文明社会は、様々な労苦から人間を解き放ち、豊かで快適な生活をもたらしてくれました。しかしそれは人間の自我を中心としたものであり、根本において自我の限りなき欲望を満たすための巧妙な仕組みではなかったでしょうか。

 文明のもたらした豊かさや快適さの反対側には、人間存在そのものをも呑み込んでしまうほどの闇黒が口を拡げてきています。アジア・アフリカの飢餓や貧困、地球を破壊し尽くすほどの兵器、環境ホルモンや地球温暖化などの環境破壊、臓器移植や遺伝子治療などの生命操作、いじめ、児童虐待や保険金殺人などの社会の崩壊であります。これらは根っこにおいて同じものであり、自我が「いのち」をわがものとして所有し、分別し、執着することに端を発している問題だと言えないでしょうか。

 二十一世紀はどのような時代になるのか、明るい未来を想い描くことができなくなりました。人類は今、肥大しきった自我意識のうちで孤立を深め、とどまらぬ欲望にかりたてられて安らぎを失っています。しかし、まさに「末法濁世」なれぱこそ、如来の名を称えることにおいて、「いのち」の根底に「汝、直ちにに来たれ」と喚びかける阿弥陀仏の本願のこころが響くのであります。

 サプテーマ「踏みだそう、共なるいのちの時代へ」は、「念仏もうさるべし」との教命をこの身にいただいた者が、自らの責任において選び取った言葉であります。それは、今こそ人間のはからいによる「いのち」の私有化を破り、わたしどもの「いのち」の根底に喚びかけている大いなるカ、如来の本願を目き開き歩もうとする志の表明であります。

 ここに、蓮如上人御遠忌法要を機縁として、「念仏もうさるべし」のみ教えのもと、「踏みだそう、共なるいのちの時代へ」を合い言葉として、ともに新しい一歩を踏みだそうではありませんか。
2000(平成12)年5月30日
意見発表
『ネットワーク時代のお寺として』
          長久寺徳純(日豊教区仏教青年会長)

『お念仏の生活−私の歩み−』
          安部勝(推進員・宇佐組)

『宗教の時代!』
           藤谷知道 (勝福寺住職)
講演メモ
「南無阿弥陀仏をとなうるはすなわち無始よりこのかたの罪業を懺悔するになるともうすなり。」
『尊号真像銘文』聖典520

南無阿弥陀仏をとなえることは、私たちにとって無始よりこのかたの罪業を懺悔することになる。

現代は、「罪」ということがわからなくなった時代である。罪といえば、法律的罪道徳的罪宗教的罪の三つがある。

道徳的罪は、人間として恥ずかしいことである、善悪の罪。
宗教的罪は、私たちの存在そのものがもっている罪。

キリスト教の神学では罪ということが非常にきびしくとかれている。
「罪sin」という言葉は、切れ切れになっている。分離しているということ。
他者から分離している。
私の中に他者が視野にはいっていない。
どうして起こってくるのか、
孤独
自己の自己からの分離
どうして起こってきているのか、
不満
存在の根拠からの分離
いのちの私有化。
不安
この三つのあり方を罪という。

自分を実体化し、他者も実体化する。いつでも他者と比較しなければ生きられない。劣等感と優越感。

いちばんの根っこは、いのちの私有化。自我欲の追求。


宗教の世界にももろにあらわれてきている。
人間の自我欲追求のためのご利益信仰であふれている。

現世を祈る教えを切るが、それを追求する心は切りません。
祈る時に他者が入っていない、自分だけよければよいというあり方で、罪だから切る。

念仏は阿弥陀如来。光明とあらわされ闇に対応する言葉。

念仏はこの私の闇を破ってくださる。

闇が破られることは、罪なる存在と出会わさせていただく

闇はなくならないけれども闇を肯定していく生き方ではなくなる。

差別をしない人間にはなれないけれども、差別をゆるさない人間になれる。

一人ひとりが目覚める。