和訳 正信偈



ひかりといのち きわみなき
阿弥陀ほとけを 仰がなん
法蔵比丘の いにしえに
世自在王の みもとにて

諸仏浄土の 因(もと)たずね
人天(ひと)のよしあし みそなわし
すぐれし願を 建てたまい
まれなる誓い おこします

ながき思惟の 時へてぞ
この願選び 取りませり
かさねてさらに 誓うらく
わが名よひろく 聞こえかし

十二のひかり 放ちては
あまたの国を 照らします
生きとしいくる ものすべて
このみひかりの うちにあり

本願成就の そのみ名を
信ずるこころ ひとつにて
ほとけのさとり ひらくこと
願い成りたる しるしなり

教主世尊は 弥陀仏の
誓い説かんと 生(あ)れたもう
にごりの世にし まどうもの
おしえのまこと 信ずべし

信心ひとたび おこりなば
煩悩(なやみ)を断たで涅槃(すくい)あり
水のうしおと なるがごと
凡夫とひじり 一味なり

摂取(すくい)の光 あきらけく
無明(うたがい)の闇 晴れ去るも
まどいの雲は 消えやらで
つねに信心(まこと)の 天(そら)覆う

よし日の雲に 隠るとも
下に闇なき ごとくなり
信心よろこび うやまえば
まよいの道は 截ちきられ
10
ほとけの誓い 信ずれば
いとおろかなる ものとても
すぐれし人と ほめたまい
白蓮華とぞ たたえます
11
南無阿弥陀仏の みおしえは
おごり・たかぶり・よこしまの
はかろう身にて 信ぜんに
難きなかにも なおかたし
12
七高僧は ねんごろに
釈迦のみこころ あらわして
弥陀の誓いの 正機(めあて)をば
われらにありと あかします
13
楞伽の山に 釈迦説けり
南天竺に 比丘ありて
よこしまくじき 真実(まこと)のべ
安楽国に うまれんと
14
みことのままに あらわれし
龍樹大士は おしえます
陸路(くがじ)のあゆみ 難けれど
船路の旅の 易きかな
15
弥陀の誓いに 帰しぬれば
不退のくらい 自然なり
ただよくつねに み名となえ
ふかきめぐみに こたえかし
16
天親菩薩 論を説き
ほとけのひかり 仰ぎつつ
おしえのまこと あらわして
弥陀の誓いを ひらきます
17
本願力の めぐみゆえ
ただ一心の 救いかな
ほとけのみ名に 帰してこそ
浄土の聖衆(ひと)の かずに入れ
18
蓮華(はちす)の国に うまれては
真如のさとり ひらきてぞ
生死の薗に かえりきて
まよえる人を 救うなり
19
曇鸞大師 徳たかく
梁の天子に あがめらる
三蔵流支に みちびかれ
仙経すてて 弥陀に帰す
20
天親の論 釈しては
浄土にうまるる 因も果も
往くも還るも 他力ぞと
ただ信心を すすめけり
21
まどえる身にも 信あらば
生死(まよい)のままに涅槃(すくい)あり
ひかりの国に いたりては
あまたの人を 救うべし
22
道綽禅師 あきらかに
聖道浄土の 門(かど)わかち
自力の善を おとしめて
他力の行を すすめつつ
23
信と不信を ねんごろに
末の世かけて おしえます
一生悪を 造るとも
弘誓に値(あ)いて 救わるる
24
善導大師 ただひとり
釈迦の正意を あかしてぞ
自力の凡夫 あわれみて
ひかりとみ名の 因縁(いわれ)説く
25
誓いの海に 入りぬれば
信をよろこぶ 身となりて
韋提のごとく 救われつ
やがてさとりの 花ひらく
26
源信和尚 弥陀に帰し
おしえかずある そのなかに
真実報土(まことのくに)に うまるるは
深き信にぞ よると説く
27
罪の人々 み名をよべ
われもひかりの うちにあり
まどいの眼には 見えねども
ほとけはつねに 照らします
28
源空上人 智慧すぐれ
おろかなるもの あわれみて
浄土真宗 おこしては
本願念仏 ひろめます
29
まよいの家に かえらんは
疑(うたご)う罪の あればなり
さとりの国に うまるるは
ただ信心に きわまりぬ
30
七高僧は あらわれみて
われらをおしえ すくいます
世のもろびとよ みなともに
このみさとしを 信ずべし

正信偈の練習

 

 

 

2016年(平成27年) 年回表
年法会(ほうえ) 示寂された年
1 周法会 2015年 平成 27年
3 回法会 2014年 平成 26年
7 回法会 2010年 平成 22年
13 回法会 2004年 平成16年
17 回法会 2000年 平成 12年
25 回法会 1992年 平成 4年
33 回法会 1984年 昭和 59年
50 回法会 1967年 昭和 42年

※ 年法会は示寂(亡くなった)年を入れて(1として)から数えます。


帰命無量寿如来 南無不可思議光 法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方 普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照 本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言 能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味 摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華 弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯 印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機 釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽 顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽 憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩 天親菩薩造論説 帰命無碍光如来 依修多羅顕真実 光闡横超大誓願 広由本願力廻向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華蔵世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 梵焼仙経帰楽邦 天親菩薩論註解 報土因果顕誓願 往還廻向由他力 正定之因唯信心 惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃 必至無量光明土 諸有衆生皆普化 道綽決聖道難証 唯明浄土可通入 万善自力貶勤修 円満徳号勧専称 三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引 一生造悪値弘誓 至安養界証妙果 善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁 開入本願大智海 行者正受金剛心 慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽 源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我 本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州 選択本願弘悪世 還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入 弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説


年回法要
 年回法要、は百ヶ日、1周法会、3回法会、7回法会、13回法会、17回法会、25回法会、33回法会、50回法会、以後は50年ごとに勤めます。

 祥月命日(しょうつき めいにち)は、 毎年の亡くなった月と日のことです。


三誓偈・嘆仏偈

三誓偈(さんせいげ)嘆仏偈(たんぶつげ)PDFを作りました。
三誓偈
嘆仏偈
ご門徒の方が、額に入った『般若心経』を置いていたので、
字数も220字・320字と短いので作りました。
読み方、意味はここ(リンク)を見てください。
※ 音が小になっています。音量を上げてください。

讃仏のうた

「讃仏のうた」は仏前結婚式で誦唱(じゅしょう)されます


お包み
 お包みは「御霊前」とは書かず、「御香資」「御仏前」と書いて下さい。

  寺へのお包みには「御布施」と書いてください。

  ※ 法話のある彼岸・御正忌の時のお包みは、
     「御法礼」と書いてください。



教え
「ただ念仏をとなえる」、その行(ぎょう)が真宗の教えです。
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。


弥陀の本願は老少善悪のひとをえらばれず。ただ、信心を要とすとしるべし。


そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけがための願にてまします。


しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
                                  『歎異抄』
弥陀の誓願 ・ 弥陀の本願

ある国王が王位をすてて出家者(法蔵)となり、世自在王仏を師として、考えをめぐらして48の願(誓願・本願)をおこし、無限の修行の後、阿弥陀仏(弥陀)となられた。
たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して、我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。(念仏往生の願)『大無量寿経』

往生

浄土に生まれること。(浄土は、弥陀の誓願にもとづいて建立された)

念仏

「南無阿弥陀仏」「なまんだぶつ」(名号)をとなえること。

摂取不捨の利益

仏が光の中に私達を照らしおさめとって捨てないこと。
教えを学ぶ

仏教の知識を知ろうとするならば、図書館などで仏教書を読めば仏教を知ることができます。

しかし、仏教の教えによって生きよう(行じよう)とするならば、身近な人が行じている教えにたよりなさいと。
行者当に知るべし、

もしを学ばんと欲わば、凡より聖に至まで、乃至仏果まで、一切碍(さわり)なし、みな学ぶことを得るとなり。

もしを学ばんと欲わば、必ず有縁の法に藉れ、

少しき功労を用いるに多く益を得ればなりと。
                                  『観経疏散善義』


仏教の道理を理解していない位



聖者のこと。修行によってすでに迷いを断ち切った位。

仏果

みずからめざめ、他をめざましめる徳をもった位。
生活の中では「南無阿弥陀仏」はなかなかでてこないのですが、

身近にお念仏をとなえる方がおられると、その方が縁となりお念仏がでてくるのではないでしょうか。
教えを信じる

インド・中国・日本の多くの人々によって、今の私に伝わってきた念仏の歴史を思うとき、念仏の大きな力を感じます。

親鸞は自分の信心を
弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。

仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。

善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。
法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからざるそうろうか。

詮ずるところ愚身の信心におきてはかくのごとし。                 『歎異抄』
虚言(きょごん)

 うそ。そらごと。

(せん)ずるところ

 つまり



仏教の基本的考え 十二縁起(えんぎ)
釈尊の心の内容

無明 無知
精神作用
心の活動は認識すること
認識 
六識(眼・耳・鼻・舌・身・意の識)
対象を認識する
名色 名=名前、精神的存在
色=色や形、物質的存在
六境(色・声・香・味・触・法の対象)
対象に向かって、六つの器官がはたらく。
六処 六つの感覚器官
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の根)
六つの器官によって、対象に触れる。
接触
触れたものを身が受けとめる。
受  感受 身受
受けとめた対象に向かって我欲がはたらく。
我愛・渇愛 あくことを知らない我欲
我欲は、執着するから。
執着 とらわれ
執着するのは存在するから。
10 存在すること
存在するのは生まれたから。
11 人間としての生存 生まれること
生まれると老死がある。
12 老死 老と死 人間の根本苦

上の表のように、苦悩(老死)のもとは無明ですが、

おもてに現れてくるのは我愛で、そこから執着がでてきます。

すなわち十二縁起の教えは、

自分に執着することから、自分中心
(自分の考えが正しい)の考え方になっているということを教えているのではないでしょうか。

生活の中で、そのことに気づくとき、
三帰依ということが問題となってきます。

「これからが、これまでを決める」



道徳・倫理とは

他人と自己との関係によって生じる社会で、正しいことを実現するためにしたがうべき行為であって、

そこでは常に「社会」というものが基準となる。

したがって道徳・倫理はその社会の成立する場所(国)や時代で、それぞれ違ってくる。