■清め塩
 田川組
  「清め塩」について

 葬儀に参列した後や、火葬場から戻ったとき、塩をまいて自分の身を清め、穢れを家に持ち込まないようにするために「清め塩」を使う習慣があります。

 これは、死を怖れ、忌み嫌う私たちの意識が死を穢れと思わせ、それが我が身にふりかからないようにというのであり、人々が古来より持ちつづけた意識ではないでしょうか。

 仏教では決して死を穢れと受けとめることはありません。むしろ「死もまた我等なり」と我が身の事実にうなづき、生死する生命を精一杯生きていくことこそ、入間の生き方であると教えて下さいます。

 我が身の事実を、先に亡くなられた方の死を通して確認することを怖れ、ごまかし、逃げ回る方法として「清め塩」があるのではないでしょうか。

 「清め塩」は必要ありません。
真宗大谷派(東本願寺)田川組
 湯布院町仏教会
  『清め塩』は廃止致します

 「清め塩は左記の理由により廃止することに致しました。
各位のご理解を伏してお願い申し上げます。
 「清め塩」はほとんどの葬儀で使われ習慣化されていますが、仏教の教えとは無縁であり迷信からおこなわれているものです。

 「清め」と言うからには、何かの穢れを除くという意味があるのでしょうが、仏教では決して死を穢れと受れ止めることはありません。むしろ往生(清浄なる仏国土に生まれる)・成仏(真実の悟りをひらく)の極まりとして受け止め、人生の完結した姿であると示されています。

 生前に父よ母よ、兄弟よ姉妹よ、友よと呼び親しんできた方を、死んだ途端に「穢れたもの」とあつかい「お清め」していくことは、亡き人をかぎりなくおとしめる行為であり、悲しくも痛ましいことであります。

 仏教に照らすと「清め」の行為そのものは、亡き人をおとしめていくばかりでなく、私自身の生き方をもあいまいにさせる迷信であり、一切不必要であることが知らされます。

 故人の遺徳を偲びつつ自己の現実を見つめ直す厳粛な儀式としての葬儀を回復しましょう。
湯布院町仏教会
(有)田中葬儀社
 その他
   「清め塩」について

 「清め塩」は殆んどの葬儀で会葬礼状に挿人され、なかば習慣化されてきましたが、仏教の教えに照らし、これを廃止することに致しました。

 仏教では、生と死は一つであると教えています。

 また、葬儀は、愛するものとも、必ず別れなければならかないという事実(愛別離苦)を真正面から受けとめ、わが身を見つめ直す厳粛な儀式です。

 仏教では決して[死]を[穢れ]とすることはありません。

 従って、死を[穢れたもの]として[お清め]する「清め塩」を廃止することにした次第でございます。

 何卒以上の主旨をご理解賜りますようお願い申し上げます。
合掌