寺院数 約 9200ヵ寺
門徒数 約 150万戸


真宗大谷派
教区 日豊教区 豊前・豊後 全国に 30教区
(そ) 臼杵組 臼杵・津久見・野津 日豊教区に 15組
蓮照寺 津久見 臼杵組に 10ヵ寺

 真宗大谷派の中では、日豊教区 臼杵組 蓮照寺となります。


森内閣総理大臣による、いわゆる「神の国」発言問題に対し、
5月20日付で宗務総長名による書簡を同総理大臣宛郵送

CS放送・ラジオ放送のご案内

ガイドライン関連法に対する宗会決議

真宗大谷派宗議会「不戦決議

死刑制度を問い直し死刑執行の停止を求める声明

初めての脳死臓器移植についての見解

真宗大谷派新宗務総長に就任した
  木越 樹(きごし たつる)さん





津久見・臼杵・野津 真宗大谷派(東)の寺




門首 1996年10月9日 『毎日新聞』より

〃お東さん〃の第25代門首になった

おおたに ちょうけん

大谷暢顕さん

京都市出身〃お東さん〃の故 大谷光暢 門首の三男。京大で園芸学を学び東京で電気会社勤務。夫妻に子供はない。66歳

内紛続きの〃お東さん〃こと真宗大谷派(本山・京都の東本願寺)。その争いの再燃で、今年初めから空白だった門首に就いた。

就任の記者会見で暢顕さんは、「(就任を)受けても、断っても後で苦しむと迷った」と、苦渋の選択だったと語った。

そのうえで、「門徒の皆様と一緒に聞法(教えを学ぶ)していきたい」と述べた。

幼時の高熱がもとで、以来耳が不自由である。質問には相手の口を見て理解するが、会見では夫人の妙子さんが付いて〃通訳〃。分かりにくいと「もう一度、言って」と、おだやかな笑顔で問い返す言葉が聞き取れる。

この宗派では、宗祖親鸞聖人の末裔・大谷家の血筋が代々、門首の座を継いできた。

暢顕さんは先代の故大谷光暢門首の4人兄弟の3番目だが、不幸なことに紛争の過程で他の3人は争点となった「門首の象徴化」などを「容認できない」と宗派を離脱。

この問、暢顕さんは東京で電気会社に勤め、終始、争いの圏外にいた。いわば無欲な大谷家のカゲの人が、今回門首になった形である。

受諾を迷ったのは、この兄弟をおもんばかって、と説明。しかし内紛の見方を問われると、「大谷家が昔にこだわった」ときっぱり。

宗派では、紛争20年、ようやく宗派和合の新門首で争いに終止符が打たれるのかどうか、期待が強まっている。

【横山真佳】



宗祖 親鸞

1173年(承安3)親鸞は誕生し、1262年(弘長2)11月28日正午、90年の命をおえた。
9歳で得度し、比叡山で20年間、29歳まで常行三昧堂の堂僧をつとめた。

29歳の時、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」ということを聞きとられた。後にそのことを、『教行信証』に「雑行を棄てて本願に帰す」と書きとどめられた。

35歳の時、法然はじめ8人が流罪となる。親鸞は流罪の地、越後の国府に行かれた。

42歳の時、関東で念仏をすすめた。

62.3歳ごろ京都に帰られ、多くの著作をしるされた。
親鸞の名は当時の『高僧伝』の中に見えない。そのことは親鸞がどのように生きたのかを知ることができる。
 
1つは、親鸞は出家としての僧侶ではなく、「沙弥(しゃみ)」として、生涯を送った人であった。  沙弥=出家したばかりで修行未熟の僧

2つは、親鸞が生きた場所が、都の貴族たちの場所ではなく、底辺で黙々として生きながら、その名が決して歴史に記録されることのない人たちの場所であった。
                     『真宗入門』より