• 大分県津久見市にある真宗大谷派の寺院です。

春彼岸会

津久見市仏教会講演会

日時:2015年10月7日午後1時 
場所:蓮照寺(津久見市セメント町3-9)
講師:伊藤元師(北九州市小倉北区 徳蓮寺 前住職)
演題:仏教が開く救いー人間の願いと仏様の願いー

祈願

覚り

救い

慣れる あたりまえ

望んでいる、願っている中身は何か 欲望

遠藤周作

善光寺  無病息災 家内安全 商売繁盛

手に入れて 失うものがある

幸福の量は謝念の量に等しい

共生 永生 再生

①加齢 感謝する気持ちが薄らいだ
②悩に腫瘍ができて物事を受け取る心が薄くなった
③正気に戻った

何度も何度も出あい直しなさい。

白井義男
アルビン・R・カーン

煩悩

中越地震 2004年(平成16年)10月23日17時56分 山古志村

精神 魂 いのち

自己中心 自分第一 を教えてもらう。

お坊さんの法話2022年3月13日 法話:「勿忘わすれなとき」小丸 洋子 氏(福島県双葉郡浪江町・正西寺)

勿忘の鐘 岩手県陸前高田市 本稱寺

2013年 仙台教区 心に刻むつどい 表白

私は、きく。あなたの悲しみが分からないから
私は、きく。お前には分からないという慟哭どうこく
私は、きく。忘れたいというささやきを
私は、きく。あの人の嗚咽おえつ
私は、きく。泣けないとしぼり出すちいさな声を
私は、きく。納得できねえという怒りを
私は、きく。逃げられない苦しみを
私は、きく。公園でこどもと弁当を食べたいと言った親の願いを
私は、きく。ほんとはこんなことしたくねえんだというなげきを
私は、きく。ふるさとをうばわれた人々の悲しみを
私は、きく。返してくれよと泣き叫ぶあの声を
私は、きく。世間の流れに置いていかれそうなあの人の声を
私は、きく。おさんぽに行きたいとせがむあの子の声を
私は、きく。「病気になりませんように」と書かれた短冊の言葉を
私は、きく。罪悪感を超えたいというつぶやきを
私は、きく。汚染された大地のうめきを
私は、きく。ただてられていく食べ物のさびしさを
私は、きく。震災は終わっていないという現実を
私は、きく。あの日いのちの歩みを止めた亡き人の想いを
私は、きく。生きたくても生きたくても生きられなかったいのちがあったことを
私は、きく。未来に生きる人のため息を
私は、きく。苦しいと叫ぶ私の声を 生きたいと叫ぶ私の声を
私は、きく。終わりなき歩みの中に身を置き
私は、きく。どこまでもきけぬもどかしさに身を置き
それでも私は、きく。
悲しみの底で共につながり、共に歩まん
そして今に生きる
今に生きる
今に生きる
南無阿弥陀仏

聖人のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」『歎異抄』

森 達也

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみのなかに そを聞きにゆく 石川啄木

ふるさとの 訛りなくせし 友といて モカ珈琲は かくまでにがし 寺山修司

『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』 他力理解の相克  木越 康

日本橋ふくしま館 Midette 見ていって
こらっせ 福島