• 大分県津久見市にある真宗大谷派の寺院です。

法話を聞く会 12

2022年7月28日の法話を聞く会で見ます。

お坊さんの法話 2022年7月17日 日曜礼拝
法話:「聞く・聞こえる・伝える・伝わる」
講師:藤場 芳子氏(石川県・常讃寺)

宗教 むね

「ものさしが一つしかない時、そこには格差が生まれる」

チコちゃんに叱られる! 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
Don’t sleep through life → 目覚め

大聖易往とときたまう 浄土をうたがう衆生をば
無眼人むげんにんとぞなづけたる 無耳人むににんとぞのべたまう 真宗聖典 P486~487

聞法の三つの心得 ①初めてのこととして聞く ②最後だと思って聞く ③自分のこととして聞く

「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」善導『観経疏』

時節到来と云うこと。用心をもし、そのうえに事の出で来候うを、時節到来とは云うべし。無用心にて事の出で来候うを、時節到来とはいわぬ事なり。聴聞を心がけてのうえの、宿善・無宿善とも云う事なり。ただ、信心は、きくにきわまることなる」由、仰せの由に候う。『蓮如上人御一代記聞書』聖典P874

「一句一言を聴聞するとも、ただ、得手に法をきくなり。ただ、よく聞き、心中のとおり、同行にあい談合すべきことなり」と云々『蓮如上人御一代記聞書』聖典 P879

前々住上人、御法談已後、仰せられ候う。四五人の御兄弟へ仰せられ候う。「四五人の衆、寄り合い談合せよ。必ず、五人は五人ながら、意巧にきく物なり。能く能く談合すべき」の由、仰せられ候う。『蓮如上人御一代記聞書』聖典 P877

同じく仰せに云わく、「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり」と、仰せられ候うと云々 されば、『口伝鈔』に云わく、「されば、この機のうえにたもつところの弥陀の仏智を、つのりとせんよりほかは、凡夫、いかでか往生の得分あるべきや」と、いえり。『蓮如上人御一代記聞書』聖典 P894

難中之難無過斯(難の中の難、これに過ぎたるはなし)正信偈

「仏法を聞くと渋柿が甘柿になる」


「聞くのではない 聞こえてくるのだ」

お彼岸のお文 「樹の根なきに似たり」

凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。『一念多念文意』聖典 P545

 『涅槃経』(迦葉品)に言わく、<略>如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じて未だ六部を信ぜず、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。またこの六部の経を受持すといえども、読誦にあたわずして他のために解説するは、利益するところなけん、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。またこの六部の経を受け已りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有のためのゆえに、持読誦説せん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす、と。略抄 『顕浄土真実教行証文類 化本』聖典 P352

「仏法がわからないという人は、わかるまで聞いてください。仏法がわかったという人は、わからなくなるまで聞いてください。」 滋賀県 長浜教区 満立寺 住職 黒田 進