2023年6月28日 法話を聞く同朋の会で聴聞します。
清澤満之の「精神主義」の実践運動が、同朋会運動。「精神主義」が、同朋会運動の根拠となって展開された。
◆講題 「終わっていく危機を知って、かえって初めの願い、出発点に立ち返る」
◆日時 2022年4月4日
◆会場 三重県桑名市 西恩寺
『世界統一的国家の原造者―清沢満之「絶対他力の大道」』西村見暁 著〈絶版〉
「世界統一的国家の原造者」とは、法蔵菩薩のこと。
仏法の世俗観
清沢満之が精神主義を主張されたということは、親鸞聖人のまことの信仰を、近代という場で表現されたもの。近代という時代と人間の問題(時機)を踏まえて提起されているわけですから、その内容として次の三つの言葉が指摘されています。
近代教学の基本的な骨格
1 「個」の確立
2 公共主義の実践
3 万物一体の自覚
教法 不変の面
教学 可変の面 おみのりのいただき方、受けとめ方
五木寛之 政治 ハンドル 経済 アクセル 宗教 ブレーキ
宗教はブレーキとはならず、権力に保護され、堕落し、国益仏教になっていた。
廃仏毀釈
『死に至る病』キェルケゴール
「人間とは、精神である。精神とは何であるか、精神とは自己(主体)である。」
真実の主体、本当の主体、これを開こうというのが親鸞聖人の教えなんでしょう。
真実の信心こそ真実の主体になってくださる。南無阿弥陀仏が、本当のわたくしになってくださる。
精神主義は南無阿弥陀仏主義といってよいことになる。
本当の主体を求める。それが求道です。
精神主義の国家像
真実の主体、本当のわたくしといっていくのは、完全なる立脚地があきらかになること。
訓覇信雄(くるべのぶお)
楠信生(くすのきしんしょう 教学研究所所長) 「今日一番の問題は、お寺に仏法がないことだ。」
自己批判の言葉。 終わりを知って、初めに立つ。
能邨 英士(のむらえいし) 宗務総長1994~1998
「真宗大谷派なる宗門は、同朋会運動をいのちとする宗門である。」
「真宗大谷派なる宗門は、宗教的思想集団であらねばならない。」
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同朋会運動
・主体の獲得 個人の面からいえば 信心獲得
・僧伽(さんが)の回復 教団の面からいえば
・近代の超克 時代の面からいえば
1
「家の宗教から個の自覚の宗教へ」 同朋会運動を始めた時のスローガン
窮鼠(きゅうそ)のほほん 真宗門徒一人(いちにん)もなし
2-1
真宗の生活化 分かった真宗は、生活とならねばならない。
見たり聞いたり考えたり行動したりする感覚、発想。それが自我に基づく発想で見る、聞く、考える、行動するならば、それは流転です。
これは大変な問題です。何を言っても世間的な感覚でしか聞いて下さらない。
仏法に遇うたということは南無阿弥陀仏とう仏さまの智慧に基づく感覚、発想で見る、聞く、考える、行動するということが一つ教えられるということです。そういう生き方があたえられていく。そういうことを生活化という。
散る桜 残る桜も 散る桜(良寛和尚)
寸言抄 自分の番を忘れている。明日は我が身。
2-2
差別の問題 万物平等
真実を聞かせていただけば、いただくほど、真実に逆らう、踏みにじった生き方しかできないでしょう。自我で生きている限りは。その自我でしか生きていない現実を、問題にしていく歩みなんです。それを忘れない。緊張感を持ち続けていくということなんです。そういう感覚があたえられる。
3
中世 個の否定 封建制
近代 個の尊重 個人のエゴを尊重するということでしかなかった。我の尊重になった。
人間中心主義 理性至上主義 人間の終末・人類の終末ではないか。
気づくべき一点、これはわたくしの原点です。このいのちが自我の所有物ではなかった。いのちの本当の尊厳性です。