新型コロナウイルスの影響下、昨年から、様々な法話が、身近に聴聞できるようになってきました。
携帯、パソコン、スマホからでも聞けますが、月に一度、28日の「同朋の会」の時間に「法話を聞く会」として行うことと致しました。※28日は親鸞聖人のご命日です。
密にならないように換気に注意して、広い本堂で一緒に聞きませんか。
「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」 慶讃テーマ
役に立たなくていいです。人は何かの役に立つために生れてくるのじゃないのです。祖父江文宏
悉能摧破有無見 ことごとく、よく有無の見を摧破せん。『正信偈』
「自分のものさしで問う」のではなく「自分のものさしを問う」のが仏教です。
高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず。『維摩経』
禍
エッセンシャルワーカーとは「私たちの日常生活における、必要不可欠な仕事(エッセンシャルサービス)を担う労働者」という意味です。
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる『浄土和讃』
摂取不捨の心 慈悲の心
慚愧の念
亡き人を案ずる私が 亡き人から案じられている。 案ずる=心配する
唯
相対のものさし
法蔵魂
仏法は暗くないのです。明るいのです。明るい方向へ転じてくださる。
わからんから南無阿弥陀仏。助けがないから南無阿弥陀仏。親も子も間に合わぬから南無阿弥陀仏。この身体もこころも間に合わぬから南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏も間に合わぬから南無阿弥陀仏。 藤原正遠(ふじはらしょうおん) 『正像末和讃』
満足大悲
如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり
挙足一歩(こそくいっぽ)
14歳の時、用明天皇(聖徳太子の父)の看病にあたられた。
574-622「四十九歳 伝燈演説 大悲大慈 敬礼菩薩」
「御縁起に曰く 百済国聖明王太子阿佐 礼して曰さく 敬礼救世大慈観音菩薩 妙教流通 東方日本国 四十九歳 伝燈演説」文
「新羅国の 聖人日羅礼して曰さく 敬礼救世観音大菩薩 伝燈東方粟散王」文
「御縁起曰」というは、聖徳太子の御縁起なり。「百済国」というは、聖徳太子、さきの世にうまれさせたまいたりけるくにの名なり。「聖明王」というは、百済国に太子のわたらせたまいたりけるときのそのくにの王の名なり。「太子阿佐礼曰」というは、聖明王の太子のななり。聖徳太子をこいしたいかなしみまいらせて、御かたちを金銅にて、いまいらせたりけるを、この和国に聖徳太子うまれてわたらせたまうとききまいらせて、聖明王、わがこの阿佐太子を勅使として、金銅の救世観音の像をおくりまいらせしとき、礼しまいらすとして誦せる文なり。「敬礼救世大慈観音菩薩」ともうしけり。「妙教流通東方日本国」ともうすは、上宮太子仏法をこの和国につたえひろめおわしますとなり。「四十九歳」というは、上宮太子は四十九歳までぞ、この和国にわたらせたまわんずると、阿佐太子もうしけり。おくられたまえる金銅の救世菩薩は天王寺の金堂にわたらせたまうなり。「伝燈演説」というは、伝燈は仏法をともしびにたとえたるなり。演説は上宮太子、仏教をときひろめましますべしと阿佐太子もうしけり。
また、新羅国より上宮太子をこいしたいまいらせて、日羅ともうす聖人きたりて、聖徳太子を礼したてまつりてもうさく、「敬礼救世観音大菩薩」ともうすは、聖徳太子は救世観音にておわしますと礼しまいらせけり。「伝燈東方」ともうすは、仏法をともしびにたとえて、東方ともうすは、この和国に仏教のともしびをつたえおわしますと、日羅もうしけり。「粟散王」ともうすは、このくにはきわめて小国なりという。粟散というは、あわつぶをちらせるがごとくちいさきくにの王と聖徳太子のならせたまいたるともうしけるなり。(『真宗聖典』523~524頁)
現代語(内記洸訳)
「御縁起曰」というのは、聖徳太子の「いわれ」を語ったものです。「百済国」というのは、聖徳太子が日本にお生まれになる以前に、おいでになったという国の名です。「聖明王」というのは、太子がその百済の国においでになったときの、その国の王の名です。「太子阿佐礼曰」というのは、阿佐太子という、聖明王の子の名です。聖明王は百済で亡くなった聖徳太子を悲しみ恋い慕って、太子の姿に似せて金銅の像を鋳造したのですが、聖徳太子が再びこの日本にお生まれになったと聞き、わが子の阿佐太子を勅使として、その金銅の救世観音の像をお贈りしたそうです。この文は、そのとき阿佐太子が礼拝して詠んだ文なのです。つまり、「敬礼救世大慈観音菩薩」と申し上げたのだと。「妙教流通東方日本国」というのは、上宮太子〔聖徳太子〕は仏法をこの日本に広く伝えていらっしゃるのだと。「四十九歳」とは、上宮太子は四十九歳までこの日本に生きておいでになるのだ、と阿佐太子が申したというのです。贈られた金銅の救世菩薩像は、天王寺の金堂にお移りになりました。「伝燈演説」とは、「伝燈」は仏法を燈火に譬えたのです。「演説」は、上宮太子が仏教を説き広めておられるはずだ、と阿佐太子が申し上げたというのです。
また、新羅の国から上宮太子を恋い慕って、「日羅」という聖人がやって来て、太子に礼拝し、次のように申し上げたそうです。「敬礼救世観音大菩薩」というのは、聖徳太子は救世観音でいらっしゃる、と礼拝したというのです。「伝燈東方」というのは、仏法を燈火に譬え、「東方」、つまりこの日本に仏教の燈火をお伝えになっていらっしゃる、と日羅聖人が申し上げたというのです。「粟散王」というのは、この日本は極めて小さな国だと。「粟散」とは、聖徳太子が粟の粒を散らしたような小さな国の王におなりになったと申し上げた、というのです。
2021年度 行事 – 蓮照寺2021年7月23日 4:59 PM /
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