『末燈鈔』 浄土宗のなかに、真あり仮あり。真というは、選択本願なり。仮というは、定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり。定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。P601
この信心を一心という、この一心を金剛心という、この金剛心を大菩提心というなり。これすなわち、他力のなかの他力なり。また、正念というにつきてふたつあり。ひとつには、定心の行人の正念。ふたつには、散心の行人の正念あるべし。このふたつの正念は、他力のなかの自力の正念なり。P600
末法第五の五百年 この世の一切有情の 如来の悲願を信ぜずは 出離その期はなかるべし 『正像末和讃』P501
希望 努力
顕浄土方便化身土文類六 本
無量寿仏観経の意
至心発願の願 邪定聚機
双樹林下往生
阿弥陀経の意なり
至心回向の願 不定聚機
難思往生
汝を我として生きるのが真宗
一八 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。
一九 たとい我、仏を得んに、十方衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、心を至し願を発して我が国に生まれんと欲わん。寿終わる時に臨んで、たとい大衆と囲繞してその人の前に現ぜずんば、正覚を取らじ。
二〇 たとい我、仏を得んに、十方の衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて、もろもろの徳本を植えて、心を至し回向して我が国に生まれんと欲わんに、果遂せずんば、正覚を取らじ。
謗法・闡提、回心すればみな往くP277
自余の浄土宗は、もろもろの雑行をゆるす。わが聖人は雑行をえらびたもう。P755『御文』
『仏本行経』に依る。 法照
何者をか、これを名づけて正法とする。 もし道理に箇らば、これ真宗なり。
好悪いまの時、須らく決択すべし。 一一に子細朦朧することなかれ。
正法よく世間を超出す。 持戒・座禅を正法と名づく。
念仏成仏はこれ真宗なり。 仏言を取らざるをば、外道と名づく。
因果を撥無する見を、空とす。 正法よく世間を超出す。
禅律いかんぞこれ正法ならん。 念仏三昧これ真宗なり。
性を見、心を了るは、すなわちこれ仏なり。 いかんが道理、相応せざらん。略抄