そもそも此 吉崎の一宇にして、彼岸会と申す事は、春秋の両時において、天正 時正と申して、昼夜の長短なくして、暑からず寒からず、其日いでて正等にして直に西に没し、人民の往還たやすく、仏法 修行のよき節なるによりて、其かみ 仏 在世より末代の今にいたりて、これを行ふ也。
此時は、人の心ゆたかなるによりて、信行 増上し易し。
されば、冬は秋の余り、夏は春のすへなれば、夏冬は艱苦にして、信心修行も をろそかになりやすきに、この両時の初めこそ、信行相続して、未安心の人は宿善の花も開け、信心開発の人は、仏果 圓満の さとりをも うるにより、都て仏法信仰の人は、参詣の足手を運び法會に出座するものなり。
しかれば、彼岸会といへることは、七日の内 中日は、日輪 西方にかたぶき、かの浄土の東門に入りたまふ。
此ゆへに無爲涅槃の極樂を彼岸とはいへり。
今娑婆を此岸といひて、生死海 有爲の迷のきしなるにより、仏願 正智の弘誓の舟に乗じ、さとりの かのきしに至りうるの念仏なれば、経には「一切 善本 皆度 彼岸」と説き、又は「究竟 一乗 至于 彼岸」とも のたまへり。
故に当流 祖師聖人の御法流には 、まづ平生 業成の御勧化 入正定聚の益あれば、あながちに此両時にはかぎらず、つねに仏恩を信知するといへども 未安心の人は ただ名聞 人目ばかりの心にして 法座に のぞみ たまはば 信心も等閑なるべし。法理も白地にならずして、たとへば珠を淵になぐるが如く、又は うへきの根なきに似たり。
これ ねがはくは 皆々、名聞 人目の心をすてて、信心報謝の念をはこぶべきなり。
その肝要と申すは、弥陀如來をたのみ、今度の我等が一大事の、後生たすけたまへと、一筋に信じ雑行雑修をはなれたる 一心專念の人は、十人も百人も、のこらず極樂に往生すべきことを たふとみ、その嬉さには、ねてもさめても南無阿彌陀仏を申して、足手をはこび信心相続あらば、ひとへに信行両益の人と云べし。
これすなはち十即 十生 百即百生の人数たるべきものなり。
これぞまことに彼岸会 参詣といふべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ
右於吉崎一宇令建立執行彼岸会者也。
文明五年八月十四(十三)日 蓮如 五十九歳判